街角ウォッチング
撫養街道(徳島県鳴門市)

17年ぶりに高校時代の同級生に会うことになったその日は、ぽっかり浮かぶ白い雲が、澄み切った青空にとってもよく映えるさわやかな秋晴れ。鳴門に嫁いだ彼女に誘われて昔の町並みが残る撫養町周辺の撫養街道を歩いてみることにしました。

40歳前のおばさんふたり、何をおいても食欲の秋です。誰もが口をそろえて撫養街道へ行くならと教えてくれたこだわりの鯛焼き屋さんへ直行。しかし残念ながらすでに売り切れ。気を取り直して近くの中央公園へ向かいます。

遊歩道を山頂まで上ると鳴門市街を一望できます。ここから見た撫養街道も古い瓦屋根が並びとても情緒深いものでした。この撫養街道とは、江戸時代に定められた阿波五街道のうちの一つである川北本道の別名で、撫養町岡崎渡船場から池田町洲津渡しまでの吉野川北岸道路 (現在の県道 鳴門・池田線) を言うのだそうです。

私たちは中央公園から街道を西へ木津の金比羅神社あたりまで行ってみました。途中立ち寄った間口の狭いお好み焼き屋さんではこの町に住む人の気さくな人柄に触れることができました。学校帰りの学生が街道を行き交う時間になった頃私たちのにぎやかな撫養街道散策はひとまずおしまいです。

どうしても鯛焼きが食べたかった私は早起きして、もう一度一人で撫養街道へ。念願のこしあんいり鯛焼きをほうばりながら撫養街道を今度は東へ進みます。

商店街を抜けて踏切を越えると石造りの文明橋。この橋から見えてきた街道は子どもの頃見たことのある風景そのままです。背後に見える妙見山と鳥居記念博物館が落ち着いた町並みをより一層美しく演出します。

昔は淡路島から船で渡って来るお遍路さんでにぎわったという妙見山下から岡崎までの通りも今はずいぶん静かです。道行く人はほとんどお年寄り。細々と八百屋を営むおばあちゃんは 「ここらへんは年寄りばあいになってしもて、もうあかんでわ」とさびしそうに言います。現実に生活している人々には申し訳ないけれど、いろいろなこと思い出させてくれた昔なつかしい町並み、見てるとやっぱりほっとします。

1995年10月掲載


思い出して一言

この撫養街道沿いには、私の母の実家があったので子どもの頃よく行った場所でした。懐かしかったぁ。

取材でおじゃました「ことらや」さんには、赤飯を足袋工場の坂田さんには、私の大足に合う足袋(26cm)をいただきました。役得役得。ありがとうございました。(2000.2)


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